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前田健太投手について

 私にとって前田健太という投手は、大野豊と同じくらい特別な存在だ。というと大野豊がいかにスペシャルであるかについて語らなければいけなくなるので、この導入は明らかに失敗なのだが、続ける。

 

 私がはじめて前田健太投手を生で見たのは2008年の4月5日のことだ。

 当時の私は受験生という世を忍ぶ仮の姿を装う、愚にもつかないフリーターだった。旧市民球場最終年と大学受験を非常に個人的な事情で被らせてしまい、自分の6年間にわたるバカさ加減のしりぬぐいがこんな瞬間に訪れるなんてと歯噛みした。どうせならもう1年フリーターをやって広島に行きまくればよかった。でもさすがに24とかで大学入るのつらい。そんなことを考えてながら、最後にもう一度市民球場で野球が見たいと、英検2級に払うはずの金を、横浜戦の外野自由のチケットに変えた。ほんとうは中日か阪神か、東京では見られないカードがよかったのだが、予備校生の身分で選べる日は少なかったのだ。そして4月4日の夜、目黒でのバイトを終えたあと新宿西口から夜行バスに乗った。

 まだ予告先発なんてなかった頃だったので、消灯前の車中で携帯で野球chを見て、どうも明日は2年目のPL卒のあいつが投げるらしいという情報を得た。佐々岡があんなに簡単に18を譲るような男だから、きっといい投手なのだろう、だけど2年目で18って早すぎないか? 齊藤はいちおう1勝したからいいけどさ。そんなことを思って、携帯の電源を切った。

 

 翌朝バスセンターについて、本通りのマクドナルドで身支度を整えた。今はどうなっているかわからないけれど、当時のマクドナルドには広島版のデイリースポーツと日刊スポーツが置いてあった。そこで前田健太のデビューを知った。記事には1年目の成績が良くて、なんだかすごく期待されているようなことが書いてあった。黒田がいなくなって、先発陣は2016年よりずっと絶望視されていた。そこに添えてある写真を見て、こんな細い選手が大丈夫だろうかと思った記憶がある。

 午前中は、旧友とひろしま美術館に行って、モネを見た。12時ごろに市民球場の前で別れて、外野席に向かった。旧市民球場の芝はマツダスタジアムと比べればきっとぼろぼろで、座席も狭くて、もし今座ったら不快な思いすらするのかもしれない。でも4月の市民球場はぼんやりあたたかくて、外野で今はもういない選手たちが本塁にボールを投げるのを見るのが心地よかった。やっぱり本拠地は違うのだ。

 

 まっさらのマウンドに立っていたぴかぴかの背番号18は、遠目から見ても細くて折れそうだった。今あんなに立派な体に育ったのがウソに思えるくらいに、華奢な選手だった。

 前田健太は、初回、簡単に2アウトをとった。デビュー戦とは思えないくらい落ち着いていた。三番の金城に対して、すこしてこずった。結果、四球でプロ初のランナーを出した。そこからだった。前田健太は四番村田――いまよりずっと怖かった村田に対しながら、さっと一塁に牽制球を投げて、金城を刺した。そして堂々とベンチに戻った。

 一瞬だった。プロ初登板で、四番を相手にしながら、何食わぬ顔で牽制で仕留めて見せた。弱冠にも満たない19歳の少年がだ。技術の良しあしは正直私にはわからない。だけど、この選手は本物だと思った。絶対に大成する、18にふさわしい選手になると思った。

 

 その日のスコアがこれだ。

 http://www.nikkansports.com/baseball/professional/score/2008/cl2008040503.html

 天谷のサヨナラ安打からの、ヒーローインタビュー「美味しいお酒を呑んでください」の日として記憶している人が多いと思う。私も生まれて初めてのサヨナラ勝ちに、ホームチームだけの特権に、うかれた。あるいは石原さんが4安打した日として覚えている人もいるかもしれない。

 でも私が試合を振り返って一番に思い出すのは、前田健太の牽制なのだ。私が前田健太に惚れたのは、ピッチングでも守備でも打撃でもなく、あの牽制球だった。

 

 2008年4月5日のスターティングメンバーの半分以上がチームを去った。若きエースは、球界のエースになってくれた。間違いなく稀有な選手だし、そのはじまりから一旦のおわりまでを見られたことは、幸福以外の何物でもないと思う。当たり前のように彼が投げていてくれたことのありがたさに、おそらく来年改めて気づくのだと思う。

 

 どうか彼が怪我なく、アメリカの地で思うような活躍ができることを願う。そしていつか、もしよければ、嫌でなければ、もういちどカープのユニフォームに袖を通してほしい。