言語化の不自由

 下の記事とはまったく違う話をする。ここからの「具合」はメンがヘルほうの「具合」なのでそういう話が嫌いな人は発言小町でも読んでいてください。

 

 具合がわるい。

 わりと頻繁に具合をわるくするたちで、そのたび頓服薬でどうにかしてきたのだけど、今回はしっかり根深く具合がわるくなったので、医者に行って毎食後と寝る前に薬を飲むことにした。

 飲むことにしたというのは、今かかっている病院がオーダー通りに処方箋を書いてくれる、旧32条下ではおそらく天国であったようなタイプの医者ばっかり揃えているからだ。これとこれとこれをください。何日分。それで処方箋を書いてもらえるので、病院とはいったい何ぞや、診断とは何ぞや、と薬局の待合室で哲学じみすらする。といってもカウンセリングに割く時間がない以上、いまは脳味噌に化学物質をぶちこむ一択しかなく、それなら変なものを試すよりは、自分の慣れた化学物質がよいなといったレベルの話だ。

 具合がわるいときには、精神状態や感情の言語化にはなはだしい障害が発生するので、具合がわるいという主張がうまくできなくなる。現時点では薬を飲んで改善している感覚はまったくないが、薬をのめばそれなりに体が動くようにはなるので、服薬を継続している。感覚が言語化できるようになるころにはだいたい治りかけというあんばいだ。10年以上よくなったり悪くなったりをして、なんとなく付き合えるようになってきたから、わたしもまだ可塑性があるんだろう。

 

 しかし、医者、あんなにフランクに処方箋を書いてくれていいのだろうか。わたしはありがたいのでいいんだけど。