声の記憶

 母が亡くなって一ヶ月半が過ぎた。
 暮らしのおおよそは変わっていない。というのは「彼女が入院していたとき」から変わっていないという意味だ。不在は続き、生活は回る。お花は花束からアレンジメントまでたくさん届くから世話をしなければならないし、いただいたお供えの賞味期限に追われているし、書類はやまほど書かなければならないけれど、それ以外は本当に前と変わらない。
 ひとの死はそうやって埋もれていくのがわたしはよいと思うし、今回はその前の本人プロデュースのセレモニー(このことについては別に書くと思う)とあわせて、とてもうまくいっている気がする。家族の中で極端な混乱や怒りや悲しみといったものは生まれず、感情は軟着陸することができた。もちろんそれはわたしの知る範囲でのことで、個々人がプライベートでどう感じたかはわからないけど、わたしに限っていえば、大波はひとつもない。淡々と年賀欠礼状を注文し、宛名を書き、母の友人を家に迎えた。ひとつ記しておくと、そこでの会話は笑い話が多かった。
 そうやっていろいろなことを片付けていく中で、そういえば母の声を忘れたな、と気づいた。わたしは小さい時からファーストネームで呼ばれていて、それは弟が生まれた後もそんなに変わらなかった。これは多分に本人が長女だったことに起因していると思う。「姉さん」と呼ばれたことは少ない。だから散々叱られたことも含めてめちゃくちゃたくさんの回数名前を呼ばれているはずなのに、母がどんな音でわたしを呼んだのか、わたしはたかだか一ヶ月半でまるきり忘れてしまった。
 ただまあ、いいかなと思っている。
 今回、わたしは人間の記憶の容量を超えて覚えておくことをやめた、諦めた。というと、人間の記憶の容量を超えて覚えておくために外部媒体にアウトソーシングをすることが仕事のくせに、という話にり、そもそもこの文章自体を書くこと自体がどうなんだというふうになるが、今回に限ってはというか、母に限ってはというか、本人が遺そうとしていないことについては覚えておこうとする努力をやめた。
 もともと母は長患いをしてきた人だ。その人がいざ死に臨んでなにを遺そうとしたか、わたしは覚えて、ときに代わりに実行してきた。その中にわたしを呼ぶ声は、というか肉声はリストアップされていなかった。死の2週間前まで自分の葬儀で読む手紙を推敲していたひとが、こと音についてはなにも遺さなかった。だから、たぶん母はそこまで念を入れて自分の声を遺そうとは思っていなかったんだろう。
 もしかしたら父か弟の携帯にはまだ声が残っていて、それを聞いたら回復するのかもしれないけれど、そこまで無理をして死人を呼び起こさなくてもいいんじゃないか。

 弔いの仕方もいろいろあると思うけれど、わたしは今回そうしようと決めて、時間が消していく声をそのままにしている。