あるいは生について考えたこと

 昨年は母が徐々に死んでいったので、死について考えることが多かった。
 
 きっかけのひとつは宮下洋一『安楽死を遂げるまで』で、これは日欧各国の安楽死制度あるいはそれに向かう取りくみについてのルポルタージュだ。わたしは死は選べるものであってほしいと思っているので、その立場から読んだ。そのとき母は存命で、たしか薦めた気すらする。
 中身の要約はいろんな人がしているから感想を述べると、自分で腕に刺さったチューブのコックをひねって「遂げる」のを、わたしはすごく素敵だと思った。すべてを片付けて(それがどれだけ大変なことか)、選択して死にいたる、それはとても理想的なことだ。そういう特権的な死に対して、わたしは希望を抱いた。それからそれがもし万人に許されることだったら?と仮定をしてみたけれど、やはりそれは魅力的だった。
 もちろん安楽死が合法化されるためにはいろいろな議論を乗り越えなければならず、たとえば望まない人が追い込まれる形で安楽死を「選ぶ」はめになったらどうするのか?という問いに、わたしは明確な答えを返すことができない。社会はたぶん死をも選択にいれる方向に動いてくれると思うけど、それが具体化するのはだいぶ先の話だろう。だから『安楽死を遂げるまで』でわたしが思い描いたことは、ある意味でまだSFだ、とてもとても蠱惑的な。
 それが死について考えたひとつ。
 
 もうひとつはもちろん母で、彼女は病気だったので徐々に(半年くらい)かけて死んでいった。衰えという言葉の意味がよくわかったし、ひとから漂う死臭に近いものも嗅ぎとった。死んでいくのはやっぱり大変でしんどく、人生に一度でいいことだなと思った。
 彼女はわりと最期まで意識も清明だったけれど、やはりコミュニケーションは万全でなく、『安楽死を遂げるまで』に出てきたような、最後にきちんとあいさつをして死に臨むようなことは、残念ながらできなかった。といっても彼女の死に対して悔いややりのこしたことはなく、たまにセデーション(鎮静)をしたほうがよかったのかもしれない、と思うことはあっても、延命治療なんかをすればよかったのに、と思ったことはない。
(誰と比較するわけではないけれど)わりと冷静に死んでいった彼女のことを思うとき、自分もたぶん同じように取り乱さずに沈着に死んでいく、そうありたいと思う。そういう意味で身近な人の死は自分にとってあらためて死を考えるきっかけになった。
 
 それで母が死んで、わたしは祖父の逝去以来ひさしぶりに遺族をやったわけだけれども、身近な人を病気で失ってなお、やっぱり私は死を選びたいと思う。
 この希死念慮はずっと私と共にあるもので、付き合いはたぶん25年以上になる。タイミングが合えばわたしはいつでもそちら側に行きたい。ただ都合がつかない。今日宅配便が届くからだとか、あるいはものすごく具合が悪い日はもう動くことすら億劫だとか、大小さまざまな理由があって、いくつかのスイッチがすべてオンになることがなかった。残念ながら多分これからも、少なくとも法制度が整うまでは、私はこの感情と生きていくしかない。
 
 相変わらず生活はばたばたしているが、死後の諸々人知を超えた量の手続きもそろそろ終わるし、ばたばたしているのはいつも通りということだ。
 変わらずやっていること:梅シロップを漬ける、干し柿を作る、雑穀をご飯に入れる、鳥手羽元の中華スープを作る、祖母の入浴のあとしまつ、カーテンの定期的な洗濯、犬のグルーミング、母の友人(故人)をしのぶ食事会。
 変わったこと:三角コーナーをなくした、あさりのお味噌汁(父親の好物)が増えた、家の壁を塗りなおして、物干しざおを新しくした。両親の部屋だった部屋は父の部屋になった。誰も受け取れない宅配便の再配達が増えた。
 変化は些細だ。不在しか感じさせない程度に。死は想像よりずっと小さな欠落だ。
 
 私は精神、電気信号としての母が消え、物理物体としての母が燃えて骨になってから、もうあまり母のことを考えることはない。いないものはいないので、墓参りにもあまり意味を感じないし、本人が無宗教で式をやったのだから手を合わせるのも変だ。これを言うと親父はやけに怒るので言わないが、儀式はもう終わったし、文字通り死んだ親の年を数えても仕方ない。
 代わりにたまに夢を見る。いつも通りに叱られたり音楽の話をしたりしている「彼女」は顔も声も姿もぜんぜん母とは違っていて、「のようなもの」なのだが、確実に「彼女」だ。起きてからそれを味わおうとするが、特に甘みも渋みもない。
 
 読み終えられなかった円城塔『文字渦』、2期を見られなかった「ピアノの森」、ポールマッカートニーが歌う「When I'm Sixty Four」、板谷波山や田村一村の展覧会、私の出産予定日でもあった3月7日。そういうものが道々に落ちているが、母が健在だったらと考えることはしない。彼女は私の想像の外にいる。
 
 このまま生きて年をとると、当然のようにいろいろな人が死んでいくだろう。それを私は引き取って、生活の一部を組み変えて、普通に暮らしていく。
 
 このあと多分わたしは30年くらいは生きる(平均寿命ほど長くは生きたくない)と思うんだけど、その中でどう死に向かって生きていくか、をそろそろ考えないといけない歳になってきた。 私はこの家で死ぬだろう。たぶん祖母と父を見送ってひとりで死ぬ。リビングウィルは毎月更新しているが、弟が私より長生きしない限り実行する人はいない。
 さいわい生計は立てられている。処方は増えたけど毎日を規則正しくおくることもできている。もちろん洗濯ものを溜めたりごみを出さなかったりする日もあるけれど、決定的にダメになっていない。そのなかでどうやって死にいたるか。残りの人生を消費していくか。期限の切られていない曖昧な生のなかで、それでも死を前提とした生きものとして生きること。
 ちゃんと死ぬのは存外大変で、だからこそこれくらいは「遂げ」ないといけないなあと思っている。
 
 というのが2019年5月現在のわたしの考え。来年は違うことを考えているかもしれないけど、死がひどく身近にあった1年、だいたいそういうことを思っていました。おわり。
 
安楽死を遂げるまで

安楽死を遂げるまで